序章

28、この道に入った動機

 昭和20年8月15日の終戦日にラジオの前に正座して天皇陛下の終戦の玉音放送を賜った一人です。終戦を境に世情が一変して、都会より田舎に疎開してきていた子供に対して世間は、偏見のまなざしをむけるようになり、戦地で夫を亡くされた妻を後家さんとか未亡人と呼んでさげすむようになったり、親をなくした子供をみなし子といって仲間はずれにしたり、いじめたりするようになりました。こうした世情の変化を見て、10才前の私は大きなショックを受けました。
 その上、戦地より引き上げてこられた末に、「精神の病」になられた方に対して、気違い呼ばわりをして偏見と差別の目を向け、地域社会が受け入れようとしない現実を知り、子供ながらに悲しく受け止めて悩みました。
 それ以来、偏見や差別について考えるようになり、「精神の病」に心をよせるようになりました。10才を過ぎて精神に関する書籍を読み進むうちに、精神の病は遺伝なのか否かについて考えるようになりました。以来、今日まで「精神の病」に対する偏見と差別と向き合いながら遺伝であるか否かを究明することを目標にして研鑽を続けてまいりました。
 私が「精神の病」のことを考えていた10代の頃、「精神の病」に限らず、障害児に対しても世間の偏見と差別があることも知りました。
 日本は戦後(昭和30年頃)、先進国である欧米の福祉思想と福祉のノウハウを導入し、福祉の充実が図られてきました。そのおかげで障害児教育の分野にも大きな進歩がみられ、障害児に対する教育が充実してきました。
 ところが、障害児の施設を開設して以来45年余りもたちますが、当施設は就学前の児童を対象にした施設故に、今も世間の偏見と差別にさらされています。今でも45年余り前と変わらない、いやそれ以上に障害児とその保護者に対する世間の偏見と差別の強さがあることを実感して、そのことに憤りを感じています。
 障害児が社会の偏見と差別にさらされる原因として、日本は古来から家族の血統(遺伝)を重んじる風潮があり、今日もその風潮が強く根付いているからだと思います。
 今後どんなに福祉が充実しても、血統を重んじる思想が残存するならば、表面上の福祉は充実していきますが、人々の内面に潜んでいる障害児に対する偏見と差別の思想は変わるものではないことを実感しています。近年は自閉症が増えてきています。長年にわたって自閉症と向き合ううちに、子供たちから自閉症が遺伝であるのか否かを究明するテーマを与えられた思いで療育についての考察を深めてまいりました。
 研鑽途上の資料ですが、自閉症はもとより、この資料がいろいろな障害児および「精神の病」の研究に寄与することを願っています。
 最後に、この道に進む動機を与えて下さいました第二次世界大戦で亡くなられた御霊並びに敗戦後「精神の病」をわずらい、世を去られた御霊に謹んで哀悼の誠をおささげ致します。


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