序章

1、「こども発達支援ホーム いわしろ」の沿革

 「こども発達支援ホーム いわしろ」(旧称:赤松言語療育園・磐城学園)の前身は、重度障害児生活訓練ホーム「磐城学園」です。「磐城学園」は「赤松言語療育園」を改称したもので、前身の「赤松言語療育園」の設立は昭和39年です。したがって、当施設は45年余りの歩みをしています。「赤松言語療育園」の設立以前は、「磐田養鶏研究所」を設立し、鶏の品種改良と遺伝研究に取り組んでいました。
 鶏の品種改良と遺伝研究は、後の障害児教育の研究に大いに益することとなりました。
 はじめに鶏の習性の観察をとおして、どのような考察をするに至ったかを述べます。

2、鶏の寿命と産卵とヒヨコの関係

 鶏の寿命と産卵の研究から、卵から孵化したばかりのヒヨコの期間(1ヵ月間)の飼育環境が良好であれば、その後も順調に生育し、丈夫で多産卵を持続することがわかりました。卵をよく産むか産まないかはヒヨコの期間(1ヵ月間)の飼育方法と深く関係していることを研究しました。
 鶏の研究から、人間の場合も乳幼児期の子育てがいかに大切であるかを教えられ、大人の心の病も乳幼児期の養育環境と深く関係があるのではなかろうかと考察するにいたりました。
 この考察が後に障害児の教育に方向転換するきっかけとなりました。

3、鶏の鳴き声の比較(群集飼育と一羽飼育)

 鶏の飼育方法には主に平飼式(群集飼育)とケージ式(1羽飼育)があります。
 平飼式は10羽とか50羽を一群として飼育する方法で、日本古来からの飼育方法です。ケージ式は、アメリカより昭和30年代に導入された1羽だけをケージ(カゴ)に入れて飼う飼育方法です。ケージ式は一鶏舎に500羽、1000羽という数で飼育できることが利点です。
 この二つの飼育方法を観察すると、平飼式の場合は仲間を意識して鶏がよく鳴くのに対して、1羽だけケージ(カゴ)の中に入れて、100〜500羽を一群として飼育(ケージ式鶏舎)した場合は、鶏があまり鳴かなくなったり、鳴いても声が小さいことを観察しました。
 このことから鶏が鳴くという行動は、人間の言葉と同様に仲間とのコミュニケーションをとるための行動であることを推察しました。
 おりしもこの研究をしていた時代(昭和30年代)は、核家族化と共働きが到来しつつある年代でした。こうした時代背景から推察して、将来、核家族化が進み共働きが増えるにつれて、地域社会とのつながりが希薄になり、子供が孤立化していくと仲間とのコミュニケーション能力を失っていくことを推察するに至りました。このことから21世紀当初には「かん黙症児」が出現するのではないかと推察するに至りました。
このことは、昭和39年の研究資料に「障害児の変遷」と題して掲載しています。
 昭和39年から約45年が経過した現代社会や障害児に目をやると、施設を開所した昭和39年頃は出会うことがなかった自閉症児が、近年は増加の一途をたどっています。平成20年より約45年前の昭和30年代では、自閉症という言葉を耳にしたことはありませんでした。
 こう考えると自閉症の子供が増加傾向にあるということは、子育ての環境の変遷と関係があると考えざるをえません。

4、両羽切断の鶏と切断をしない鶏との鳴き声の違い

 卵から孵化したばかりのヒヨコの時に、両羽を切断して飼育した鶏が、多産卵鶏になるか否かの実験をしました。
 実験の結果は、多産卵鶏になるどころか、実験した50羽ともすべてが卵をあまり産みませんでした。しかも寿命も短命となりました。
 しかし、実験の目的とは別に鳴き声に変化があることを観察することができました。
 すなわち、両羽を切断した鶏は樹木(とまり木)に飛び乗ることができないため地面での飼育となりました。鶏はとまり木にとまって、両羽を広げてバタバタさせながら「コケッコーコー」と大声をあげて長く鳴く習性がありますが、実験の鶏は両羽を切断されたため、とまり木の上で両羽を広げて鳴くという習性が損なわれてしまい、「コケッコーコー」と鳴いても、鳴き声が小さいことに気がつきました。
 そこで、両羽を切断した鶏と普通の鶏の鳴き声との違いを比較しながら観察した結果、普通の鶏でも両羽を動かさないでいる時の鳴き声は小さいのに、両羽を広げて鳴く時の方が音声(鳴き声)が大きく出ることがわかりました。
 すなわち、鶏は両羽を動かすことによって深い呼吸ができるようになることに気づきました。
 実験の結果により、両羽を切断された鶏は羽を失ったために深い呼吸ができなくなり、鳴き声が小さくなったのだと考察をするに至りました。
 この考察から、鳥類は両羽を動かしながら深い呼吸をする習性を身につけて、空を飛んだり、飛びながら鳴き声を出すことができるように進化してきたことを確認することができました。
 この実験の考察より、人間の赤ちゃんは両手を振って歩けない0才代は音声が低く、長く音声が出せないのに、1才をすぎて両手を振って歩行したり、走ったりすることができるようになると長く高い音声が出るようになることに気がつきました。
 さらに人間の赤ちゃんの手は月齢が進むにつれて鶏の羽と同じような役目をすることにより、両手を振って深い呼吸ができるように援護をしているため、手が振れるようになると音声が長く大きく出せるようになり、言葉が話せるようになることに気がつきました。
 この実験によって、鶏の鳴きの音声と人間の音声の出し方が類似していることがわかりました。このことから鶏の呼吸の仕方と人間の呼吸の仕方とが類似していることが考察できました。
 この考察は、後になって両手を交互に振って3〜5km歩くこと、走ること、鉄棒に60〜180秒間ぶらさがる取り組みをあみだすこととなり、この取り組みは現在もひき続き実行しています。

5、鶏が産んだ卵を抱っこして温める習性を失うこと

 鶏は産んだ卵を両羽で21日間温めてヒヨコにかえす(孵化)という習性を持っています。ところが、卵を孵化器という機械で温めて孵化させたヒヨコは成鶏(親)になった時、自分が産んだ卵を抱っこして温める習性を失ってしまうことを観察しました。
 特に鶏をケージで飼育した場合の方が平飼よりも、両羽で卵を抱っこする習性を早いうちに失ってしまうこともわかりました。
 このことから人間も鶏のヒヨコと同様に、自分が赤ちゃんの時期に十分に抱っこされずに成長すると、親になった時に赤ちゃんを抱っこすることができなくなるのではないか、と推察しました。
 おりしも、昭和30年代は核家族化と共働き時代へと移行する時期で、昭和40年代に入ると赤ちゃんをとりまく養育環境が変化していきました。
 その結果、昭和40年代生まれの人々が今日親になっていますが、赤ちゃんを抱っこすることに抵抗感をもったり、泣き続ける赤ちゃんを泣き止むまで抱っこし続けることが大変だと感じたり、赤ちゃんをいつくしむような気持ちで抱っこすることが難しいと嘆く人が出現しています。こう考えると、鶏が自分の産んだ卵を抱く習性を失ったことと同じ現象が、人間の子育てにおいても現れているように思います。
 抱っこについての考察は、後に呼吸援助抱っこ法をあみ出すことに役立ちました。

6、鶏は鳴き声を仲間との交信に使う習性がある

 鶏は1羽が鳴くと仲間の鶏も一斉に鳴く習性があることを観察しました。
 1羽が小さい音声で鳴いても、そばの鶏がすぐに大きな音声で鳴くため、たちまち仲間が一斉に鳴くようになります。しかも、その鳴き声を観察すると、外敵がやってきた時の鳴き声は「コーキー」とのど(声帯)をしめつける音声で鳴き、エサがほしい時は「コケッコー」と大声をあげて鳴き、エサがもらえた時は「コッコッコッ」とおだやかな音声で鳴き、卵を産んだ時は「コケッコッコー」と高い音声で仲間に知らせるように鳴きます。
 また、鶏仲間が楽しみ合う時の交信の鳴き声を観察すると、高い音声で「コッコ・コッコ」と鳴き続けます。その音声は人間が楽しい時の笑い声「ハッハ・ハッハ」の音声と類似していることに気がつきました。
 鶏も人間と同様にいろいろな状況下で鳴き声を使い分けることで仲間同士が交信しあっていることが観察できました。
 こうした観察により、人間の赤ちゃんは人(仲間)に意思を伝えるために泣き声と笑い声を使っているのではないかと考えました。
 鶏が仲間と交信を楽しむときの音声と、人間の赤ちゃんが人と触れ合って楽しい時に発する音声とが類似していることも気がつきました。


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