7、資料「乳幼児期における脳の発達順序」について
昭和39年(約45年前)の施設開設当時、鶏の観察をする中で、人間の赤ちゃんが育つ道すじをまとめた下記の資料「乳幼児期における脳の発達順序」に次のことを記載しています。
赤ちゃんは1〜2ヵ月頃の「欲求の泣き」を出した後に、人を自分にひきつけるための微笑みを3〜5ヵ月頃に出します。この微笑行動を「情緒行動のめばえ(はしゃぎ遊び期)」と脳の発達順序に記しました。そして「・・・乳児の方が先にニッコリ笑って大人に遊んでほしいというしぐさをする。」と解説しています。
赤ちゃんは人をひきつけるために、赤ちゃんの方が先に笑う。すなわち、赤ちゃんが人と関わりたくて、人をひきつけるために笑いかけてくる。この微笑行動は、赤ちゃんが人との相互作用を求める行為であります。
赤ちゃんの方が先に微笑んで求めてくる行為に応えて、大人が相互作用のある関わりをすることによって赤ちゃんは順調に発達するのです。
このように、約45年前の時点で、赤ちゃんを発達させる子育てのカギは、相互作用であることに着目しました。
その後、施設の療育で相互作用のある取り組みを実践しながら、障害を持つ子供に適した教材研究や療育カリキュラムの質の向上を図るための研鑽を続けてまいりました。その中にあっても、「乳幼児期における脳の発達の順序」の資料は、各地の講演会で紹介したり、相談者や親に脳の発達の順序を説明する時に用いて役立てています。
資料「乳幼児期における脳の発達順序」 (昭和39年度 研究資料より) |
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5才 | 【創造行為及び精神(善悪判断の心)の発達】 自主的に思考し、創造行為のともなった造形遊びをしたり、自分の未来を創造した作品をつくる。 ルールのある遊びをしたり、善悪判断をしながら行動する。 |
4才 | 【思考力、工夫力、記憶力の発達(造形遊び期)】 友達と積極的に遊び、その遊びを通して思考力、工夫力、記憶力が著しく発達する。 日常生活で体験したことを記憶し、それをもとに友達とごっこ遊びをする。 |
3才 | 【総合的な能力の発達(製作的遊び期)】 愛着を土台にして、運動行動、知的行動、言語及び心が総合的に発達する。 絵を描く、絵本を見る、絵本のストーリーを理解する、粘土、切り紙、折り紙、楽器、踊りなどの学習行動に興味を示す。 |
2才 | 【心の発達のめばえ(並行遊び期)】 友達との遊びを要求する。大人と遊ぶよりも友達との遊びを求めて4〜5人の友達と並行遊びをする。お手伝い遊びがはじまる。 |
1才6ヵ月 | 【言語の発達のめばえ(ことば遊び期)】 言葉の模倣能力が発達し、大人の言葉を真似してお話をする。 言語の理解力が発達し、テレビで聞いた言葉や大人の会話を理解し、それを動作で表現する。 |
1才4ヵ月 | 【知的行動のめばえ(手伝い遊び期)】 動作模倣が著しく発達し、大人の動作をよく見て真似する。 言葉を聞く能力が発達し、大人の言葉をよく聞き、その意味を理解する。 |
8ヵ月 | 【運動行動のめばえ(ゆさぶり遊び期)】 上肢(手)の発達が著しくなり、母指(親指)と示指(人さし指)の対向動作が自立する。示指(人さし指)が分離して機能する。 発音器官の発達が著しく、舌尖や口唇を盛んに動かし、なん語が発達する。 |
3〜5ヵ月 | 【情緒行動のめばえ(はしゃぎ遊び期)】 喜びの心がめばえ、愛着行動をしめす。すなわち大人が笑いかけると乳児も微笑むとか、乳児の方が先にニッコリ笑って大人に遊んでほしいというしぐさをする。追視も盛んにする。 |
0〜2ヵ月 | 【本能行動のめばえ(食行動遊び期)】 |
資料「障害児の変遷」 (昭和39年度の研究資料を基にして、時代の経過により若干の変更が加えられています。) |
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障害児の発生年度 | 食品の変遷 | 障害児の変遷 | 母親の誕生年度 |
昭和35〜40年 | アメリカ式栄養学の普及時代 | 単純精神薄弱児の出現 | 昭和6〜10年 |
昭和41〜45年 | 加工食品の普及時代 | 言語発達遅滞児の出現 | 昭和11〜15年 |
昭和46〜50年 | 食品添加物による保存食の普及時代 | 自閉的傾向(児)の出現 | 昭和16〜25年 |
昭和51〜55年 | インスタント食品の普及時代 | 多動性傾向(児)の出現 | 昭和26〜30年 |
昭和56〜60年 | スーパーマーケット方式の調理普及時代 | 微細性傾向(児)の出現 | 昭和31〜35年 |
昭和61〜平成2年 | 薬品化された食品の時代 | 愛着行動未発達児の出現 | 昭和36〜40年 |
平成3〜8年 | 繊維食品の普及時代 | 偏食型拒食児の出現 | 昭和41〜45年 |
21世紀当初 | バイオテクノロジー食品 | かん黙症児の出現 | 昭和46〜55年 |
8、呼吸援助抱っこ法をあみだした経緯
開設以来45年余り、様々な子供達と出会いました。知的障害児、情緒障害児、言語障害や染色体異常、肢体不自由児、アスペルガー症候群、注意欠陥多動症候群(ADHD)、自閉症などの子供達です。様々な子供達との出会いの中でも、特に重度の脳損傷のために呼吸困難を持っている数人の障害児から多くのことを学びました。
その子供達の呼吸困難を改善する療育を通して、呼吸と言葉の発達のメカニズムを究明することができました。また、多くの自閉傾向の子供達から呼吸に起因する様々な行動を観察して、泣き声や笑い声が呼吸と関係しているメカニズムを追究することができました。こうした多くの子供達との取り組みをもとに、当施設の療育の要となる呼吸援助抱っこ法をあみだしました。
9、自閉症児との出会い
昭和30年代は言語障害としてとりあげられたものは、吃音、構音障害、言葉の遅れ、口蓋破裂、難聴、脳性マヒなどでした。自閉症の言語訓練について研究されるようになったのは昭和50年代以降です。当時、世間では言葉の遅れがあっても3才になれば言葉が言えるようになると思われていました。平成の現在でも、言葉は3才まで待てば出るよ、という神話がまかり通っていて、2才代で話せなくても3才まで待つという風潮が残っています。
しかし、昔の3才は1、2、3才の数え方ですが、現代は0、1、2、3才の数え方ですから、現代の3才は昔では4才に相当します。
3才まで待つという風潮は、昔も今も障害を認めたくないという、日本古来からの家系の血統を重んじる風潮が根底にあるからだと推察しています。
昭和39年に言語療育園を開設した当時は、日本で言語治療教室を設置していた小学校が千葉県他全国に数校しかありませんでした。昭和40年代に入って各地に言語治療教室が設置されてきましたが、自閉症の言語訓練は後年になってからです。
昭和39年に言語療育園を開設した当時は、3才をすぎても言葉の発達に遅れのある子供は概して知的障害のケースでした。
ところが、昭和40年代に入ると、知的障害では見られない行動をする子供が、昭和43年以降だんだんと増え始めてきました。
その当時のことですが、知的障害の子供では見かけない行動で、今でも忘れることができない光景があります。
それは、いざ療育を始めようとすると、子供達が保育室の片隅にうずくまってじっとしていたり、机の下にもぐり続けたりして、保育室の中央部分がガランとしてしまったことです。その上、人の言葉を聞いているのか、聞いていないのか、名前を呼んでも反応がありません。そこで、一人一人の名前を呼んで介助で保育室の中央部に集めて、保育室の隅っこに逃げないように介助をしながら療育をしたことを鮮明に記憶しています。
また、知的障害の子供と違って、子供と向き合って言語訓練や教育などもできませんでした。難題は、5〜6才になっていても言葉が話せる兆しが見られないことでした。
昭和40年代はこうした障害の子供は、言語発達遅滞児として位置づけられて、小学校の言語治療教室で言語訓練が行われていました。
昭和40年代後半からこうしたケースが目立ちはじめ、この頃より自閉症という障害名が使われ始めました。昭和50年代に入ると、自閉症に関する書籍が出始めました。
昭和50年代半ば頃より、自閉症児が急激に増加し、それにともなって自閉症についての研究や教育についての考察が深まり、自閉症という言葉が一般にも知られるようになりました。
以来、当施設では昭和40年代前半に出会った自閉症児をはじめとして、今日までたくさんの自閉症の事例に取り組んできました。
近年は自閉症についての書籍や情報が氾濫し、自閉症児の教育現場も百花繚乱のようです。
10、当施設における自閉症児への取り組み
自閉傾向の子供は新生児期より赤ちゃんが育つ道すじをたどって発達ができていないため、いろいろな面が未発達で問題をかかえたまま月齢を重ねていきます。
赤ちゃんの頃から人との相互作用がとれないで成長する自閉傾向の子供は、2〜3才になると自閉的な特徴が顕著になり、結果として言葉が遅れたり、パニック行動を起こしたり、コミュニケーションがとれなかったりと様々な問題行動を出すようになります。
そこで我が子の問題行動を毎日目にする親は、心配になって専門機関に相談に行きます。するとそこで障害名がつけられます。
障害名がつくと、親はなんとなく原因がわかって納得します。
しかし、我が子の状態は障害がわからなかった前と、わかった後で何ら変わるわけでもなく、むしろ障害から生じる問題行動が強くなる一方です。
我が子の現実の姿を見て、親はその日から悶々とした生活が始まります。
親は問題行動にどう対処したらよいのか指導方法を求めますが、障害児教育の現場が百花繚乱のようなので、指導者によって助言が異なり、親はどの助言を信じて取り組めばよいのか判断にとまどいます。
当施設では、どのような障害の子供でも障害児として見る前に、その子供が「赤ちゃんが育つ道すじをたどって成長してきたか否か」について考察することから療育を始めます。というのは、本来赤ちゃんは、育つ道すじをもって生まれてきているからです。そして順調に発達する子供は、遅かれ早かれ赤ちゃんが育つ道すじをたどって成長します。
育つ道すじという視点で、障害を持つ子供を観察すると、赤ちゃんの頃より育つ道すじをたどれず、未発達の問題をかかえたまま月齢を重ねていることに気づきます。
そこで当施設では、順調に発達する赤ちゃんの道すじをふまえて、一歩一歩発達の道すじをたどって成長するように療育をしています。