序章

24、「赤ちゃん返り」は画期的な成長

 不思議なことに「赤ちゃん返り」が始まると、順調に育つ赤ちゃんのように子供の方から「ボール」を投げかけてくるような相互作用が起こります。
 ある母親は赤ちゃん返りをした4才の子供が「オギャーオギャー」と泣いて手足をバタバタさせた時、目の前にいる子供が生まれたばかりの赤ちゃんに見えたので、なんのためらいもなく「よしよし」と言って抱きあげて、オッパイをあげることができた、と話されました。
 このような行動を母親にとらせたのは年令が4才であっても子供が赤ちゃんに返ってママに接してきたからです。
 赤ちゃんに返ると自閉の殻を脱いだように子供は臆せずに人に接してくるようになります。この時の子供への対応が重要です。
 子供が赤ちゃんになってオッパイが飲みたいと要求した時はオッパイを飲ませてあげます。這い這いをした時は「ほら、ここまでおいで、這い這い上手ね。」と誘導して、はってきた子供を抱っこしてあげます。オムツをあてたいと言った時はオムツをあててあげます。オシッコが出たら「シーがでたね。」とオムツに排尿したことを喜んであげたりします。
 赤ちゃん返りをした時の子供は、ママのこうした対応を素直にうけとめるので相互作用がとりやすいです。
 子供が赤ちゃんのようになってママに触れ合うことにより、子供は触れ合い嫌いの殻を少しづつ脱いで、人を受け入れるように変わっていきます。
 赤ちゃん返りは、自閉傾向の子供の障害の根っこである人嫌いの解消に役立ちます。したがって、赤ちゃん返りは後退ではなく、自閉傾向の子供にとって実に画期的な成長と位置付けることができます。

25、「赤ちゃん返り」は心の扉を開ける

 「赤ちゃん返り」の行動は、子供の方から触れ合いを求めて「ボール」を投げかけてくるので、親はその「ボール」を受けとめてあげればよいのです。それ以前に反応のない子供に「ボール」を投げていた時よりも、親も子も気持ちが通い合えます。
 「赤ちゃん返り」による相互作用をくりかえすことで、子供は閉ざしていた心の扉を少しずつ開けていきます。子供の方が親のそばにいたがるようになり、自分に関心を向けさせようとして、いたずらをしたり、親の身体をたたいたり、顔にキスしたり、微笑行動をしたりします。
 このように親と関わりたい気持ちが育つと、親と何かをしたい、親と何かをすることが楽しいという気持ちが育っていきます。その結果として、子供が心の扉を開き、親と子の相互作用が深まっていきます。

26、「赤ちゃん返り」は学習態度を育てる

 親と子の「赤ちゃん返り」による相互作用が出始めると、子供は施設での様々な療育カリキュラムに対しても意欲的に取り組むようになります。
 例えば、ママと遊びたいという気持ちが子供にでてくると、療育の場面では先生が学習の準備をしていると子供の方から「先生、今日は何のお勉強をやるの?」とやる気満々の姿を見せてくれたりします。先生が「今日は〜をしますよ。」と言って教材を提示すると、以前は無関心だった子供が関心を持って教材にさわったり、先生の指示を素直に受け入れるようになったりします。
 親との「赤ちゃん返り」で育った相互作用の力が療育の場面でも発揮されるようになることを実感します。
 自閉傾向の子供に人を受け入れる気持ちが育ってくると、人から指示されたり、教えられたりすることに心理的な抵抗がなくなっていきます。
 こうした子供の変化を見ると、自閉傾向の子供の指導とは、子供ができるようになる日を待つのではなく、歩むべき道を提示して導いていくことであることを改めて確信します。
 子供が日々成長していく姿に接するたびに、感動と共に、相互作用のある指導の大切さを子供から教えられます。したがって当施設では、障害の有無や状態に関係なく相互作用をとりながら、子供が育つ道すじを歩めるように補い、かつ援助しつつ問題点を改善していく指導をしています。

27、当施設の療育システムは子供たちからのプレゼント

 当施設の療育システムは長年(45年余り)にわたって、たくさんの子供と取り組んだ体験に基づいてできあがったものです。
 すなわち、開設以来、子供の障害にこだわらず、どのような療育をすれば「順調に発達する子供がたどる道すじ」を踏んで成長させることができるかを考えて、子供と真正面から向き合って取り組んできたことが土台となっているのです。
 試行錯誤をしつつ療育をしていると、子供の方から成長や成果という形で、指導上の道しるべとなる答えをたくさん提示してくれました。子供が提示してくれた答えを次の子供に応用しながら、療育の成果を蓄積してきました。
 例えば、1個という数がわからない子供が、数個入っているキャンディの袋を持ちながら食べている時、大人が人さし指を立てて「キャンディを1個ちょうだい。」と言ったとします。その時子供はキャンディの入った袋を手渡してくるか、袋からキャンディを3個位とりだして手渡そうとします。その子供には人さし指の1とキャンディの1個、すなわち「ひとつ」がわかっていないからです。
 0才代を順調にたどっていない自閉傾向の子供は3〜5才であってもキャンディ1個がわからない子供がいます。そこでこの子供に「イチ=ひとつ=1」の数の概念を理解させるにはどのように教えたらいいか、といろいろな指導を試します。いくつかの指導を試しているうちに、ついに「1個」がわかる時がきます。ここで数の概念を習得させる指導の仕方がつかめます。ここでつかんだ答えを次の子供に応用します。
 数の指導に限らず、言葉の話せない子供は、どう指導したら話せるようになるか、よく動き回る多動の子供を落ち着かせるにはどう取り組めばよいのか、パニック行動にはどのように対処すればおさまるのか、アイコンタクトがとれるようにするにはどう指導したらよいのか、はしゃぎ反応はどうしたらだせるようになるか等々、療育実践の現場に立って、長い歳月をかけながら成果につながる指導方法を見出す努力をしてきました。
 そうした努力に答えを下さったのが子供たちです。開設より45年余り、たくさんの子供たちから教えられた答えを練り上げて、当施設の療育システムを作り上げました。
 したがって、この療育システムは、当施設に通所してくださった子供たちからのメッセージです。
 当施設の卒業生たちの進路は様々ですが、当施設を卒業して十数年後に高等学校や大学に進学したり、社会人になった卒業生たちから「いわしろに通ったから今の僕がある。僕をひとりぼっちの世界から救ってくれてありがとう。」という手紙をいただきます。
 こうした先輩の子供たちからのメッセージを後輩の子供たちに伝えなければならないという思いと、当施設の療育システムをわかりやすく文章にまとめて伝えてほしいという利用者各位の希望に応えなければという思いから、まだ研鑽途上のものですが当施設の療育を紹介することを決断いたしました。
 したがって、この資料は当施設の療育に取り組んだ子供たちのメッセージです。子供たちの気持ちを受けとめて読んでいただけることを願っています。


序章の目次ページへ     次のページへ     トップページへ